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執筆者の写真地引 由美 Yumi JIBIKI

チュベルーズの守人(まもりびと)

コンスタン・ヴィアル氏が天に昇られました。SNSでは友人たちが彼を心から讃え、別れを惜しむ投稿を一緒に写った画像と共にアップしています。前市長、現市長、そしてパフューマーもヴィアル氏への弔辞を寄せています。



チュべルーズの花盛りの時期にル ジャルダン ドゥ コンスタンを訪れてお話をお聞きしたい。それが次のグラース行きの目的でしたが、コロナ禍で旅を諦めている間に叶わない願いとなってしまいました。


歴史を振り返れば、フランス革命の後ナポレオンの台頭を経た後、産業革命での技術発展を追い風に香水製造業者も大きな工場を持つようになり、原料の花の生産も増えていきます。さらにそれ以前、香り付き革手袋産業が盛んだった頃にすでにグラースにはローズやジャスミン、チュベルーズのプランテーションがありました。 長い間栄えてきたグラースの香料産業も第二次世界大戦の後には諸外国との生産コストの競争の渦に巻き込まれて翳りを見せ始めます。そして1970年代には香水用の花の生産は大きく落ち込み、特にチュベルーズに関してはグラースではもう生産者が一人しか残っていなかったのです。この頃はまだ誰も、花を育てる技術が消えゆくことに注意を払っていませんでした。 農業請負業者として、また、モナコ公国の宮殿の庭師として働いてきたヴィアル氏はこの状況の重大さに気づき、定年間際に花農園を準備し、自ら花を育て始めます。「もし一つの花がその土地で絶えてしまったら、再び自然に生えるまでには少なくとも15年はかかりますから。」こうしてヴィアル氏はグラースのチュべルーズの守人になりました。

2014年10月に開催された、グラースのユネスコ無形文化遺産登録活動(※2018年に登録されました)の一環である円卓会議の会場のヴィラ サンイレールのエントランスに向かう坂道を、周りをたくさんの人に囲まれて、両手に抱えきれないほどのチュベルーズの花を抱えて登ってくるロマンスグレーの髪色の男性の姿がありました。その方がコンスタン・ヴィアル氏でした。

開会前のロビーでのドメーヌ ドゥ マノンのキャロルさんとヴィアル氏の姿。何をお話しされているのかしら。キャロルさんの畑のチュべルーズの生育についてでしょうか。



会場内でもつねに多くの方に囲まれていました。


会議が始まる前に、テーブルの上にヴィアル氏がチュべルーズの花をのせました。豊かなその香りが、開会を告げる様で、チュべルーズの花の前で、香水業界の一線で活躍されている方々のお話が続きました。



閉会後、縦長の大きな窓から差し込む夕暮れの光を浴びて、白く輝いているチュベローズの花を撮影しました。



あまりにも美しいヴィアル氏のチュべルーズの姿を La causette parfumée のサイトのトップページに飾らせていただいています。


グラースのチュべルーズの灯火はコンスタン・ヴィアル氏のおかげで消えることなく、現在では栽培する花生産者の数も増えています。


チュべルーズが咲く、10月のグラースの朝焼け。



地中海から立ち上り静かに進み、グラースの花畑を包み込む朝霧。


今日がご葬儀の日とのこと。10,000km離れた国より、心からご冥福をお祈りいたします。


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